インタビュー

2026.03.12

自分の人生を諦めない
― 障がいのある娘と向き合いながら見つけた、私らしい道


五月女さんは、パートナーと6歳の長男、そして滑脳症(かつのうしょう)という難病がある3歳の娘さんの4人で暮らしています。

 
 

現在、娘さんをBuranoに預けながら、施設内にあるコワーキングスペースで働く五月女さん。飾らない言葉の一つひとつから、歩んできた日々の重みが伝わってきます。現在の働き方や子育てへの思い、そしてここに至るまでの歩みについて、お話をうかがいました。

 
 

現在の働き方と、そこに至るまでの道のりを教えて下さい。

 

結婚前はアパレル会社や保険会社に勤めていました。営業の仕事で、毎日バタバタしながらも、それなりに充実していたと思います。結婚・妊娠を機に退職してからは、専業主婦として子育てに向き合ってきました。
 
 

現在は娘をBuranoに預けている間、施設内にあるコワーキングスペースで仕事をしています。仕事内容は週1〜2回のメール対応と業務委託で契約している3社のパソコン作業を、平日10時から16時くらいまで自分でシフトを組んでやっています。
 

自分でスケジュールを組めると、病院や自分の予定に合わせて調整できることがメリットだと思っています。

 
 

娘さんが誕生し、診断がつくまではどのような日々でしたか。
 

生まれた直後から、表情や目の動きを見て「何か違うな」という違和感がありました。はっきりと言葉にできるものではないんですけど、抱いたときの感覚とか、視線の合い方とか、母親としての直感みたいなものがあって。
 

夫は「大丈夫だよ」と言うのですが、私の中ではその違和感が消えなくて、生後3か月で受診しました。

 
 

そのときに、目の動きに異常がある可能性を指摘されて、そこから検査と治療のための病院通いが始まりました。
 

正直、診断がつくまでの時間は、すごく怖かったです。「他の子と違うな」「この子はどうなるんだろう」と、先の見えない不安ばかりが頭の中をぐるぐるとしていました。

 
 

周りからは「大丈夫だよ」「心配しすぎじゃない?」と言われることも多かったです。ありがたい言葉なんですけど、私が感じている不安や違和感とはどうしてもズレがあって、そのギャップがすごく苦しかったですね。

 
 

当時は外に出る気力がなく、買い物も外出もほとんど夫に任せて、私は病院と家を往復する日々でした。
 

でも、不思議なことに、病院にいると少し安心できたんです。
 

先生や看護師さんは、私と同じ目線で娘を見てくれる人たちで、不安な気持ちに共感してくれる相手だったからだと思います。当時は家にいる方が不安で「早く病院に行きたい」とさえ思っていました。
 
 

外に出られなかった時期から、再び社会とつながろうと思ったきっかけは?
 
 

元々外に出るのが好きな性格のため、「このままでは自分が壊れてしまう」と感じたんです。時間だけは十分すぎるほどあったので、児童発達支援のことを調べて、娘を預けられそうなところに片っ端から電話しました。預かると言ってくれる施設がなくて電話口で泣いてしまったこともあります。

 
  

「働きたい」という気持ちはあるのに、預け先はなくて、エンジンをずっと空ぶかししているような状態でした。
 

そんなとき、市役所の方に「Buranoならお母さんも働きながら預けられるかもしれない」と教えてもらったんです。空ぶかしばかりしていた車に、ようやく一本の道が開かれたような気がしました。

 
  

Buranoを利用することへの不安はありましたか?
   

夫は娘を預けることにとても慎重でした。言葉も話せず、自由に動けない娘を他人に預けることへの不安が大きかったんだと思います。
 

そんな心配性の夫が施設に求めた条件は、「親がいつでも出入りできること」「預けている間、親が近くにいること」でした。
 

コワ ーキングスペースが併設されているBuranoは、その条件にぴったりだったんです。
 
 

私にとっての最初の安心材料は、責任者の方ご自身も障害のあるお子さんを育て、実際にBuranoを利用してきた経験があることでした。
 

「同じ立場の人なら、私の気持ちをわかってくれるかもしれない」と思えたんです。

 
 

見学の際には、スタッフの方が娘に絵本を読んでくれたり、優しく話しかけてくれたりしていました。その関わり方が、それまで娘に接してくれた人たちとは違って、とても自然で。親の私から見ても、「関わり方がとても専門的だな」と感じました。

 
 

私は娘のことが本当に大好きで、だからこそ、同じくらいの熱量で接してくれる人じゃないと、安心して任せられないと思っています。その点で「ここなら大丈夫かもしれない」と思えました。
 
 

実際に通い始めてから、どのような変化がありましたか?
 
 

通い始めてから、娘の生活リズムが整いました。決まった時間に起きて、寝て、日中は人と関わる時間がある。声の出し方も、少しずつですが変わってきたと感じています。
  
 

排便や発作といった小さな変化にも、スタッフの方がすぐに気づいて声をかけてくれるので、私自身も一人で抱え込まなくなりました。
 

仕事も、クラウドソーシングサイトを利用することで少しずつ広がり、業務委託のパソコン作業と週1〜2回のメール対応という今のかたちになっていきました。

 
 

預け始めてからの思わぬ変化として、夫の行動も大きく変わりました。
 

Buranoに行く日は、私も娘と一緒に家を出るので、夫が自然と家事をするようになったんです。
 

朝ごはんの準備や洗濯をしてくれたり、「食器はそのままでいいよ」と言ってくれたり、子どもたちのお弁当箱を用意してから仕事に行ったり。朝は本当に忙しいので、すごく助かっています。

 
 

そして、一番心に残っているのは、Burano小山のオープンセレモニーで見た、心魂プロジェクトのパフォーマンスです。
 

娘を膝に乗せ、体を揺らしながら曲に合わせて踊りました。長男も小さな声で歌っていて、本当に可愛くて。心魂さんが作り出す空間が、とても素晴らしく、とても幸せで、気づいたら大泣きしていました。
 

長男はすっかり心魂さんのファンになり、私にとっても一番の思い出になりました。

△Burano小山での心魂プロジェクトでの様子

 
 

今、大切にしていることと、これからについて教えてください

  

一番大切なのは、やっぱり子どもたちです。
 

平日は仕事をしていますが、土日は「一緒に楽しく過ごす」と決めています。
 

娘がおすわりできるようになること、そして自分自身としては、タイピングのスピードを少しずつ早くしていくこと。今は、そんな小さな目標を大切にしています。

  
 

悩みや不安は、突き詰めていくと「見通しが立たないこと」から生まれるものが多いと思います。
 

わからないことは、誰だって不安になりますよね。
 

でも不思議なもので、ある程度先のことが予測できると、少し心が軽くなることもあると思います。
 

だからこそ、もし不安を抱えているなら、一人で抱え込まずに、誰かに話してみてほしいです。

 
 
 
そういう意味では、Buranoの茶話会は、すごくいい場だと思います。私も初めて参加したときに、
 

「福祉車両って、いつごろ乗り換えましたか?」とか、
 
「自宅のお風呂は改装が必要ですか?」とか、
 

たくさんの疑問を解消して、見通しを立てることができました。

 
 

それから、これは声を大にして伝えたいんですが、自分の子どもを可愛く思えない瞬間って、健常児でも障がい児でもあると思うんです。
 
でも、時が経てば「やっぱりこの子がいなくちゃダメだな」と思えるようになる。障がいがあって話せなくても、他の子と違っていても、子どもというのは本当にかけがえのない存在です。

 
 

今、塞ぎ込んでしまっている人や、「どうしよう」と立ち止まっている人もいると思います。そんな方に、私から伝えたい言葉があります。

 
 

「大丈夫。なんとかなります」
 
 


今回のインタビューはいかがだったでしょうか。

 

五月女さんの言葉からは、悩みや不安を抱えながらも、子どもと向き合い、自分の人生も大切にしようとする保護者としてのリアルな姿が伝わってきました。

 

Buranoには、そんな保護者と子どもたちが、日々足を運んでいます。

 

「大丈夫。なんとかなる」
その言葉を、誰かのそばで一緒に届けてくれる人。
 

保護者の気持ちに耳を傾け、生活に寄り添う支援をしたいと考えている人。
 

ぜひBuranoの仲間になっていただけたら嬉しいです。

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